芸術造形研究所

臨床美術士・養成講座、受講生の皆さまの声

受講生皆さまから寄せられた「声」をお届けしています。受講をお考え中の皆さまは、是非ご一読ください。

 

09/11/28

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5級取得コース修了生 中野恵子さん 主婦

<「臨床美術」を読んで>
この本を読み終えて、まず思ったこと― それは希望が持てたということです。現在、主人の母は重度の認知症により老人ホームに入居しております。母の認知症がどんどん進んでいくのに対し、何も手を出せなかったのと同時に、介護する毎日は、私から自分の…

<「臨床美術」を読んで>
この本を読み終えて、まず思ったこと― それは希望が持てたということです。

 現在、主人の母は重度の認知症により老人ホームに入居しております。母の認知症がどんどん進んでいくのに対し、何も手を出せなかったのと同時に、介護する毎日は、私から自分の将来の望みを奪い、体調不良をもたらしました。頭では、これくらいたいしたことではないと自分に言いきかせつつも、義母に合わせなければならない自分の日常生活はストレスこの上ないものでありました。義母の場合も初期は認知症とは気づかないものでした。薬の服用も一般的でなく、後に薬を飲んで少し進行がゆるやかになった人の話を聞いて、「あの時飲んでいれば…」と思ったものの、やはり、薬では進行が止められないのは、その人を見れば分かりました。そんな義母の病気を見てきた私は、誰もが向かう老いの終着点が義母のような認知症であってほしくない、どうすればならずに進むのかを考えずにはいられませんでした。

 そこへ、縁があって臨床美術に出会ったのです。この本の中には、乏しいながらも持っていた私の認知症に対する知識を裏付けしてくれることが書かれており、さらに、私のこれからの生活のヴィジョンを明るくしてくれました。年をとってからはいろいろな人とおしゃべりをしたり、集まったりしながら生きていかないとよくないのでは、と(できるかどうかわからない夢のようなものですが)みんなが集える場(空間)を提供したいと思っていました。そのためには集うための材料が必要です。私の人柄ではみんなは来てくれません。それは、楽しめる材料―何かを生み出す楽しさ、喜びを与えてくれる材料が必要です。

 主婦の日常は、たいていの場合、消費の毎日です。勿論、子どもの成長は大きな喜びではありますが、やがて自立し、子どもは手を離れていくものです。手元においてながめていられる“自分のもの”ではありません。多くの女性が「何かをしたい」と思うのは、喜びの実感、何かを成し遂げる達成感がほしいからだと思います。それは、年を取っても、男性、特にリタイアした方たちも同様でしょう。作品が手元に残り、それを眺めるのは楽しいものです。しかもみんなでお互いに喜び合える場が身近にあったなら、どんなに救われただろうと思います。そして、義母も早い時期に臨床美術を体験することができたらよかったのに…と思います。

 臨床美術士として、私はやっていけるのか、不安でいっぱいです。ただ、楽しいことだけをしているより、ある程度のストレスを自分に与えた方が自分の脳にもよいのなら、敢えて挑戦すべきでしょう。しかしながら、“本物”であるのは並大抵のことではありません。自分自身が鋭い感性を持ち続けることができるのか、共感できるのか、相手の体調や気分を瞬時に判断できるか、常に問題意識を持って生きることができるのか、集った人達に一番よい素材を提供できるのか、全くやったことのない人、あまり興味を持たない人にやってもらえるようアプローチできるのか、そして、“愛”を持ち続けることができるのか…臨床美術の目指す目標や理念を体現できるのか…不安と楽しみとが交互に心にわいてきます。

 臨床美術は熱い思いを持った方の奇跡的な出会いから生まれました。そして、偶然にもそれを学ぶ機会が私にも与えられ、希望を持つことができました。若い時にはできなかったであろう「人をまるごと受け入れる」ことが臨床美術の活動を通して実現できたら、私の人生もより豊かなものになるに違いありません。そして、この大きなエネルギーを頂いて、臨床美術に携わる皆さんのように社会に還元していけたらと思いました。
09/09/15

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4級取得コース修了生 風間繁樹さん 元警察官

制服は着ない、化粧して、ピアスして、教室の椅子を投げる暴力女子中学生に 問 最近頭にきたことがある? 問 むかつくことある? 問 どんな小さなことでもいいから楽しいことは? 問 悲しいことは?と何を聞いても「ない」としか応えない子どもが…

制服は着ない、化粧して、ピアスして、教室の椅子を投げる暴力女子中学生に

問 最近頭にきたことがある?
問 むかつくことある?
問 どんな小さなことでもいいから楽しいことは?
問 悲しいことは?

と何を聞いても「ない」としか応えない子どもが受け入れたのはアートだった事に感動した。

 私も今年の春まで警察官だったことからこのような親や教師の手に付けられない暴力少年の話は身近だった。
 この子供達が親に、教師に、友人に反発して手のつけられない状態を放置し、卒業を待つばかりを望んでいた教師、父兄達を数多く見てきたのであるが、私の知人でまさしく前葉の子どもそのものだった女の子が、ある時、美術教師に出会ってアートに目覚め、美術系の高校を目指すようになったとき、今までの学校での反発、悪戯はなんだったのだと思われるくらい素直になり勤勉になって高校の美術科へ進学ができアートに没頭し、今では、一流広告会社に入社しアートの世界で頑張っている女性を思い起こし、まさにこの本を読んで、これなんだな、と確信した。

 アートは、何だか分からないことを、目に見える形で置き換えることができる、一本の線だけでも、画面に置いた一色だけでもそれを通してほめることができる、本人に自信を与えることができる事を学んだ。
 臨床美術は眠っている細胞を起こすために芸術造形研究所が、独自に開発した方法であり絵を描いたり彫刻や陶芸をしながら脳機能を活性化させ、意欲の改善を目指し、誰でも楽しく認知症に関する治療法を取り込みながら創作できるように、さまざまな工夫がこらされていることがよくわかりました。新しいことを編み出すのは並大抵の努力ではできないし、能力や労力が必要です。このように芸術造形研究所において研究に研究を重ね独自開発された教材や資料に基づいて、よき指導者の下で臨床美術士を目指せる私たちは幸せだと思います。

 自分自身が楽しみながら研究された魅力あるカリキュラムで眠っている細胞を起こしていく技術を学び、さらに自分自身の技術力をアップして社会に貢献できる喜びを感じ、更に認知症患者の症状をくい止め、さらに改善させながら本人やその家族に喜ばれる活動をしたいと思っています。そのために臨床美術を継続して一生懸命勉強し、日々努力しなければいけないなと感じました。そして、これからさらに増える高齢者、認知症老人、さらに介護される側ばかりではなく介護者に対する教育指導者等、突入する超高齢化社会に伴い、私たちが目指す臨床美術士の役割が増大すると共に必要不可欠のものになるのではないかと思います。

 芸術がなぜ認知症を改善するのかの本を読んで、また4級講座を受けて講座の課題をこなしながら表現することの楽しさを肌で感じ、また認知症のこと、介護の現状や家族へのサポートなど認知症をとりまく様々な要素などを学ぶ中で認知症であった自分の父親の介護をしながらの経験から見ても、全てが素直にうなずける内容のものであり、改めて臨床美術の重要性を認識することができたので、臨床美術士の資格を取って少しでも社会に貢献したいと思い臨床美術3級目指して頑張りたいと思います。
09/08/30

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4級取得コース修了生 20代 女性

<臨床美術における創造性>
私は、臨床美術に出会う前の6年間、臨床心理学の分野で“集団アプローチ”による創造性開発研究に携わっておりました。目に見えない“こころ”を科学することは大変興味深くも難く、創造性を言葉により操作的に定義し、数値化して尺ることに抵抗を感じてきました。…

<臨床美術における創造性>
私は、臨床美術に出会う前の6年間、臨床心理学の分野で“集団アプローチ”による創造性開発研究に携わっておりました。目に見えない“こころ”を科学することは大変興味深くも難く、創造性を言葉により操作的に定義し、数値化して尺ることに抵抗を感じてきました。それは、ともすると創造性→何かを生みだすこと→生産性・機能性にすりかわり、社会的に役立つ人間を育てようとする目的を持ってしまうからです。つまり、関根先生のお言葉をお借りすれば「機能的人間観」に基づく創造性です。一方、臨床美術における創造性は、「いてくれるだけで嬉しい」という「存在論的人間観」に基づくものだと思います。金子先生の巻頭言の一節「ほんとうの個性とは、決して自己中心な世界ではなく、むしろ自己中心から解放されてはじめて、その人らしい品格のある世界が生まれるのではないか」ということを出発的に創造性について思う時、それはまさに創ることを通じて表現されるその人独特の味わい・個性なのだと、ストンと胸におちました。そして、もう一点、臨床美術士の居る意味について考えさせられました。それは人とアートを楽しむ/コミュニケーションをするための安心で安全な場所(空間)と方法を提供することです。自分自身の経験から述べると、5級コースの中盤位までは、正直“制作をするなら1人のほうが気楽だし、集中できるので良い。鑑賞会はうまく喋れなかったら不安、緊張する・・・。”と人と一緒にアートをすることに否定的だったり、乗り切れなかったりすることが多かったです。しかし、回を重ねるにつれ、臨床美術のコースで制作をすると1人の時以上に自分の表現を追求したい!と思えること、そしていつしか表現することに夢中になっていきました。そこには機能的人間観における創造性を追求する姿勢から存在論的人間観における創造性を追求する姿勢への大きなシフトがあったと思います。それを可能にしたのは、臨床美術士のつぶれることのない信念と姿勢、さらに仲間の存在かもしれません。具体的には、“考え方や制作も、ひとまず周りの影響を思い切り受けて、感じたり真似たりしてみて、それで違和感のある部分はけずったり、変えたりすればいい。まずは全部受け入れてみよう”と思えたことです。また、そうすることで自分らしさが失われるわけではなく、むしろ表現の幅を広げることを体験出来ました。
現代は、創造性を育てること、その方法論の研究は盛んになりつつあります。しかし、根底となる“創造性とは何か”ということは雑に扱われている気がします。結果、クリエイティブに生きること、という大きなテーマを取り違えたり、見失ったりする人は多いのではないでしょうか。例えば、カルトにはまる人々の増加や特別な英才教育の為に、子どもの生活を束縛する親の事例が連想されます。もちろん、何をクリエイティブするか?も千差万別で、答えのない問いです。しかし、ただやみくもにCreativityを追うのではなくCreativityを追求するひとりひとりが信念を持つ必要性を感じます。臨床美術は存在論的人間観をアートを通じて体現するアプローチのひとつです。そしてじっくりと個々の感性に働きかけ、その人が集団の中で自分らしさを安心して解放できる/表現できる空間を保障するものだと思います。このような臨床美術の魅力を、私自身じっくりと味わい、体全体になじませつつ、臨床美術士としてそれをライブで伝えられるようになりたいです。
09/05/23

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4級取得コース修了生 50代 女性 小学校教諭

私は、小学校で図画工作科を担当して児童に表現活動の指導をしています。昨年学校に送られてきた芸術造形研究所からの案内を見て、これは今の私の仕事になにか進展をもたらしてくれるのではないかと思い、ワークショップに参加しました…


私は、小学校で図画工作科を担当して児童に表現活動の指導をしています。
昨年学校に送られてきた芸術造形研究所からの案内を見て、これは今の私の仕事になにか進展をもたらしてくれるのではないかと思い、ワークショップに参加しました。参加してみて、私自身が表現の心地よさと癒されるものを感じ、もっと経験してみたいと思いました。忙しい毎日や諸々のことでかなり疲れてこともあります。
子ども達の中にも、様々な要因で疲れていたり、ストレスを抱えていたり、満たされない思いで過ごしている子が何人もいます。ちょっとしたことがきっかけで、泣いたり、きれたり、ぼんやりしていたり、落ち着きがなかったりしていて、毎日何かトラブルが起きます。社会の不安定な状況を反映してか、家庭環境の変化も多く、その影響を幼い子ども達が受けているのを感じます。
表現活動を通して子ども達にもっとしっかりとした感性をもたせたい、またはじっくりと取り組ませて確かな表現力や生きる力を育てたいというねらいを中心に実践してきましたが、鬱屈した思いをやわらかくときほぐしてあげられないものだろうかと思うこともしばしばありました。このたび臨床美術を受講して、アートで癒されることができるということを改めて認識できたと思っています。
受講した翌週あたりからまず私の接し方が変わりました。子ども自身の表現を認めようといいながらも、けっこう指導を入れていたのですが、「いいね」、「うーん感じがでているね」、「きれいだねー」、という言葉だけをかけるようにこころがけました。「うまい」を口にしないようにも気をつけました。すると教室の雰囲気がやわらかくなり、子ども達も嬉しそうで、意欲も高まっていくのが感じられました。頭ではわかっていたつもりでも実行できていなかったのだと反省しました。これも関根先生の存在論的人間観の講義と講師の先生方の私達の作品への評価の仕方のおかげです。
次に量感画ついてです。「身近な生き物」を指で描くということをやらせていますが、これまでは主に「ハートから描こう」と言っていました。生き物もきっとハートがあるよねというところからの導入だったのですが、飼育小屋のうさぎを良く見させて、(80人にさわらせることはできないので)、あたたかい心臓の鼓動を感じるように、命を感じるように仕向けるところから、じっくりと指で色を重ねていかせました。やはりこれまでより、生き生きとしたうさぎが描けているのを感じます。いつも誰かに手を出してはもめたりして、なかなかとりくめないI君もなんとかしあげ、名前を入れることができました。おとなしくて、自信なげなAさんもかわいいうさぎのハッピーが描けました。さらに発展させて新聞紙と和紙による立体表現にも挑戦させたいと考えています。
また、絵手紙で墨と絵の具で描いてきた「野菜や果物」ですが、これらの素材も量感画として取り組んでみる予定です。「手」のデッサンも然りです。
アナログ画についても絵の具からパスにきりかえてもみようと、楽しみなところです。
子ども達はこれまでの、「よく見なさい」という「形からはいっていく」指導に、いく分かの抵抗を感じていたことは否めません。じっくりと中身を見せるところからていねいに導入していけば、児童はこれまで味わったことのない感動と表現の楽しさ、作品への満足感を抱くであろうと思います。問題行動を起こしがちな子どもにもやさしくよりそって表現を促せば、きっと前向きに取り組んでくれるでしょう。
今後はモチーフを身体全体で感じる時間を大切にしていきたいものです。抵抗感をもたせず、安心して描き始めさせることで、表現することは楽しいと心から思ってもらいたいと思います。
自分自身の思いや感動を表現するために人は絵を描くという原点を、あわただしく過ごしている日常でつい忘れがちだったと、反省する機会ともなりました。
このたびの受講で、臨床美術の表現は高齢者の痴呆のケアのために生み出されたものであるということを知りましたが、高齢者だけでなく、子どもたちにも豊かな表現をもたらし、心をも癒すものであると、指導を通じて感じつつあります。
今後臨床美術は美術教育の中でも、必要とされるようになっていくであろうと思っています。
08/01/15

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感性アート「風景画講座」参加者 30歳 女性

第1回「光と影」についての授業を受けて~第6回「近景のある風景画2」の授業を受けて絵を描くということに時間を割いてみたのは 学生の頃以来からかもしれない。 いつからか絵に苦手意識を抱き、落書きですら、描くのが怖くなっていた。

第1回「光と影」についての授業を受けて

絵を描くということに時間を割いてみたのは 学生の頃以来からかもしれない。
いつからか絵に苦手意識を抱き、 落書きですら、描くのが怖くなっていた。

その一方で
「絵の具で空の絵を描きたい」
そんな風に漠然と思う時もあったのは確か。

今回、ふとしたきっかけで 「アートセラピー」のレッスンに出てみることとなった私。
絵がうまくなるとか、そういう次元ではなく
絵を描くことが楽しくなるきっかけになればと思い
受講することにした。

いざ受講してみると、驚くことばかり!
たとえば、ど素人の私でも知っている「遠近法」だとか
単純な絵の技術を学ぶというわけではないのだ。

第1回目はりんごを中身から描く「量感画」。
りんごを触って食べて、りんごを感じ、
そして中身、つまり果肉から描いていくのだ。
りんごの絵を描けと言われたら、まず赤と考えるのが普通だが
このセラピーでは違った。

第2回「匂いと音楽」についての授業を受けて

2回目は、匂いと音楽を絵にするというレッスンだった。
つまり、目に見えないモノを絵にするというわけだ。
匂いを嗅いで、音を聴いて、そこから自分が感じたままを
絵にしていく。

これらは私にとって、とても刺激的な経験だった。
絵で表現をするという意識がなかった私には
目から鱗だったのだ。

余談だが、私は音楽をやっている。
音楽は声や楽器というツールで表現をする。
楽しい音、切ない音、かわいい音。。。
いろんな音がある。
こんな時にはこんな音。。。
感覚的に好きな音を、自然と出す。

絵もそれと同じなのだと、初めて知った。
同じ画材を使っていても、
人によって千差万別。
日によって千差万別。
いろんな感情を表現できると知れたのは
予想外の結果だった。
写実的に描く絵だけが絵というわけではない。
(もちろん、それもすばらしいのだけれど)

まだまだ引き出しも少ないし、
絵で何かを表現することは難しいけれど、
少なくとも、「描くことって楽しいかも」
と感じれるようになったのはかなりの前進。

次回からも楽しみにしている。

第3回「光と影」についての授業を受けて

「印象に残っている光(自然光)を描いてみてください」
突拍子もなく言われた、漠然とした課題。
光って間違いなく目に見えるけれど、
実体がない物で、手に取ることができない。
「そんなん、描けるわけないよ~!」
なんていう気持ちを抱きつつ、
とにかく難しく考えずに感じたままに描くのが「アートセラピー」。
・・・だと思っている私なので
思うがまま、手を動かしてみた。

抽象画と言えば聞こえが良いけど
なんとか光の絵を描き終えた後、
次に取り組んだのが、初回でも描いたりんご。
今回は光と影をりんごに感じて、
先ほど描いた光の絵と組み合わせるというわけだ。

相反しながら同時に存在する光と影。
光があるから、影がある。

光を浴びているりんご。
その裏で影を作り出しているりんご。

影を表現することで、光が際立つということが
とてもよくわかった。
ただただ、明るい色を塗るのではなく
コントラストをうまく利用することで
平面に描いた絵に、立体感が加わる。

それにしても、
自然界の色というのは、なんて豊富なのだろう。
おおよそ、人間の脳では理解できない
複雑な色の組み合わせが、そこには存在するのだ。
それを絵で表現するということは、
難しくもあり楽しくもある。

技術的なことだけでなく、
ちょっと壮大なことまで感じた第3回のレッスンだった。

第5回「近景のある風景画」の授業を受けて

何ができるかわからない。
どこに向かっているかわからない。
不安だけれど、楽しさが共存する感覚。
久々にそんな感覚を抱いた第5回のレッスン。

本日はじめの課題。
「行ってみたいところの写真を選んで、そこから抱いた印象を絵にする」
写生ではなく、抱いた印象を絵にするのだ。
私が選んだ写真は、大好きな石垣島。
どこまでも青くて、
ただ「青」という言葉では表現できないくらいのさまざまな「青」。
ゆったりと流れる時間。
ちょっと湿気はあるけれど、そんなに暑くない。
生温い風が穏やかに吹いている。
そんな印象を受けた写真。
さあ、この印象をどのように絵にすればよいのか。
頼るべきは自分の感覚。感じたままに手を走らせる。
結果、できたものは、ただいろんな色がフワフワと混ざったものだった。

もちろんこれで終わりではない。
次は写真を横において、じっくりと描いてみてくださいとのこと。
力を感じるところ、自分が気になるところは強く。
優しいところは優しく。光を感じるところは光を。
色も写真にとらわれることなく自由に。

絵が苦手な私からすると
写生はもちろん難しいのだけれど
自由に描けと言われても、さらにどうしたらよいかわからない。

だけれど、幼稚園児がクレヨンで自由に絵を描くがごとく
なんとなしに筆を動かしてみる。
何が出来上がるかもわからず、
どこに向かっているのかもわからず。

さらにこれで終わりではなかった。
「いま描いた絵に、好きな写真を組み合わせる」というのだ。
いわゆるコラージュと言われる手法。
そこにリアリティは必要ない。空にシカがいても構わない。
これまた想像力。
幼稚園児に戻って、写真を切って糊で貼る。
無我夢中。
童心に戻るとはこのことかななどと
不意に思いながら、シュールな作品が仕上がった。

もはや自分が何を描こうとしていたかもわからなくなったけど
ただ自分の思うまま、表現できるのは
まさにセラピーなのかもしれない。

絵、そして何かを作ることの楽しさを
改めて感じたレッスンだった。


第6回「近景のある風景画2」の授業を受けて


6回にわたってのアート感性プログラムも
いよいよ最終回。

今回も前回と同じく、風景を感じたまま描き
写真を自由にコラージュするレッスンだった。

前回と違うのは、行く先がわかっているということ。
だから、描きやすそうな風景を選んだり
風景を描く時から写真を意識することも可能である。

でも、私はそんなことがせず(できない…)
感覚のまま手を動かした。
風の感じ、匂い、温度、
さまざまな要素を思い浮かべながら、絵を描いてゆく。

次に写真。

このレッスンで一番楽しいと感じるのは
写真を貼るところ。
どんな写真を貼ろうか、どこに貼ろうか、
などと考えるうちに、自分の中でストーリーができてくる。
「この人はこんなことを考えながら海を見つめている」
「そして、その人を想う犬」 などなど。
1つの絵に、いろいろな感情が見えてくるからおもしろい。
そしてきっとそれは、人によって見方が違う。
想像力をかきたてるものなのだ。

最後に写真と絵を馴染ませれば完成なのだが
一番これがむずかしい。
馴染ませすぎてもだめ、写真とわかるくらいがちょうどいい。

イマジネーションとリアリティが共存した世界。
それがオマージュなのかもしれない。

そんなわけで終わった全6回のレッスン。
絵を描くことさえ怖かった私だが
絵を描く楽しさを思い出せた素晴らしいレッスンだった。
幼稚園児の頃、無我夢中で絵を描いていたように
絵を描くことが怖くなくなったのだ。 > それが一番の収穫。

またぜひ出たいと思う。
次出た時は、一歩先に進めるかもしれない。

07/07/31

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3級取得コース修了生(沖縄校) 名嘉智之さん 臨床美術士

はいさい★★★★★余韻冷めない内にメールしました!!!!
先日6月9日土曜日の脳損傷友の会「ゆい沖縄」でのアートセラピーは、戸袋先生はじめ、大倉先生・森瀬先生のアドバイス、ご指導のお陰で、なんとかうまくいったように思います!!!

はいさい★★★★★余韻冷めない内にメールしました!!!!  先日6月9日土曜日の、脳損傷友の会「ゆい沖縄」でのアートセラピーは、戸袋先生はじめ、大倉先生・森瀬先生のアドバイス、ご指導のお陰で、なんとかうまくいったように思います!!!        前日は緊張のあまり震えがくるほどでした、、、、 ですが、終わってみると→緊張はあったのものの、気持ちよく伸び伸びと進行できた感じでした
★★★
セラピーが始ると、とにかく当事者と家族の方の緊張感がピリピリと伝わってきて「うわっ、、どうしよう」で、自分の心拍数が滅茶苦茶な回数で脈打っているのがわかりました!!!!!      
楽しそうに参加している様子は全く無く、「この人は一体何をするんだろう?アートセラピーって何?大丈夫なの?」と全員疑いの眼差しさえ感じました、、、、、(握手をするときも盛り上がらず)  保育や高齢者の現場とは一変して、とにかく”シビア”な空気でした!!!!!!! ゆい沖縄の当事者は20代~30代が多く、今まで普通に生活を送っていた人が、交通事故で脳に損傷をうけ、障がいを持ってしまったことです。 若いということもあり、就労が大きな問題になっていて、親も年齢から言うと先に天国へ行きます、、でも障がいを負った私の子供はどうするの?生活は?・・・・・・・   
前半はとにかくみなさん真剣で口も開かない状態が続いていましたが、そんな時に先生方から教えていただいた”どんどんメインから投げかける”でした!!!!!
とにかく家族への問いかけを多くし、盛り上げ、リラックスした雰囲気を作り、当事者が発言しやすいような場を作ることに専念しました!!!!お陰で導入だけで軽く30分はかかりました、、、、 そのかいあってか、参加者のみなさんの笑顔が見られ、あちこちで”ゆんたく”するほどでした★
制作も始ればみなさん真剣に取り掛かってくれ、ようやくアートセラピーとして実施している実感が沸いてきました!!!!! ”ポカン”としていた家族も真剣に黒糖のアナログ画を描き、大笑いしながら楽しそうに制作していた母親もいました♪♪  鑑賞会では、一人一人のコメント・発言で盛り上がり、家族によると、普段消極的であまり話さない当事者が、手を挙げて話すなんてと、ビックリして話していました!!!!! (黒糖からサトウキビの話~沖縄の自然まで会話が広がりました)
制作中に批判的な言葉を何度も言っていた当事者が、セラピー終了後「ありがとう!楽しかったです」と言ってくれ、改めて臨床美術の醍醐味・手ごたえを実感しました!!!!! 
病院のスタッフ2名からも、「病院でも取り入れられそうなところもあり、参考になりました。楽しく参加できました」と、ありがたい言葉をもらい、帰り際には「美術に対しての見方が変わりそうです、こんなに楽しくできるとは思いませんでした」と言ってくれた母親もいました★★★★★   
2時間を通し、自分なりに課題は残りましたが、今後に活かせるよう頑張ります!!!!!!

07/07/01

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3級取得コース修了生 30歳 女性 臨床美術士

物心ついた頃から絵を描くこと、というよりいたずら描きが好きでした。鉛筆と紙があれば何かしら描き始め、気がつけば何時間も経っていたり…。社会人になってからもそれは変わらず、気分転換の1つになっていました。

物心がついた頃から絵を描くこと、というよりいたずら描きが好きでした。鉛筆と紙があれば何かしら描き始め、気が付けば何時間も経っていたり・・・。社会人になってからもそれは変わらず、気分転換の1つになっていました。ある雑誌を見て、臨床美術の存在を知り、こんな仕事があったのか、純粋に何かを創り上げる喜び、楽しさを自分も感じながら、それを色々な人に伝えられるきっかけになればいいなあと思い、この世界に飛び込みました。
絵を描く、ものを作ることの楽しさ、奥深さを再確認しながら、この講座では多くの発見をしました。未知な世界もいろいろと経験でき、人前で話すことが苦手な自分にとって、大きなハードルもありました。何のために人前に立って話すのかを考えさせられ、そこから、人と接する時の大切なことも学べたように思います。
勉強していく中で、素晴らしい仲間にも恵まれました。今その仲間たちと、以前ボランティア実習で行った施設で、月2回のアートセラピーを実施しています。初めはボランティアで月1回行っていたところが、約1年半後には月2回、仕事としてできるようになったりと、試行錯誤をしながらも、前向きに活動しています。そして、三鷹にある老人保健施設『太郎』でのセラピー、個人セラピー、そして芸術造形研究所で、教務にも携わらせてもらっています。
この仕事を通じて、人との「縁」で、いろいろなことが成り立っているということを実感します。これからも人との出会いを大切にし、自分なりにできること、やりたいことに正直に向き合っていきながら、臨床美術に関わっていけたらと思っています。

07/06/05

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4級取得コース修了生 30歳 女性 臨床美術士

両親が高齢になり、散歩以外に家で楽しい一時を過ごせることはないかと思いを巡らしている時に、新聞で臨床美術の記事が目に入りました。そこで、早速受講を決めました。また、中学校の相談室で登校拒否の生徒のボランティアを始め、それにも何か役に立つのではないかと思い、勉強を始めました。

両親が高齢になり、散歩以外に家で楽しい一時を過ごせることはないかと思いを巡らしている時に、新聞で、アクリル絵具を使ってという臨床美術の記事が目に入りました。そこで、早速受講を決めました。
また、中学校の相談室で登校拒否の生徒のボランティアを始め、それにも何か役に立つのではないかと思い、勉強を始めました。 学んでみて、実に楽しい!そして、こだわらないでありのままの自分を出せる素晴らしさに感動しました。
機能論的人間観に片寄りやすい今日の社会の流れから、存在論的人間観としての捉え方、芸術として高めていく作品制作が、万人に公平にあるのを実感しました。このような世界がある喜びを分かち合い、具体的に褒める生き方を続けていきたいです。
講座終了後、実生活においては、学んだ中から少しずつ、母と一緒に静かな午後の一時を楽しんでいます。また、友人達に、心の癒し、栄養、そして脳の活性化を熱く、自ずと語るようになり、今後も、臨床美術の極意を広く伝えていければと思っています。

07/03/31

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5級取得コース修了生 26歳 女性 会社員(デザイン系)

高校生の頃から美術やデザインを学び、就職もデザイン系に進みました。希望通りの仕事をするために学んできたはずなのに何かが物足りなく、ストレスを感じるようになっていました。以前から関心のあったカウンセリングの勉強をしようかと思い雑誌をめくっていると、「何だ!?」というものをみつけました。それが臨床美術でした。

高校生の頃から美術やデザインを学び、就職もデザイン系に進みました。希望通りの仕事をするために学んできたはずなのに何かが物足りなく、ストレスを感じるようになっていました。以前から関心のあったカウンセリングの勉強をしようかと思い雑誌をめくっていると、「何だ!?」というものをみつけました。それが臨床美術でした。「もしかしたら向いているかもしれない。私がやりたいと思っていることかもしれない」と思い切って受講する決心をしました。
5級コースでは、主に認知症の方の脳の活性化を考えたカリキュラムを学びましたが、健常な方にも有効だと感じました。脳だけでなく、心も芸術活動をすることによって活性化するような気がしました。そしてだれもが、この世に2つとないその人ならではの作品を創ることができること、どんな人でも一人ひとりが大切な存在で、ありのまま受け入れられるべきだということを学びました。これは受講して学んだ中で一番大事なことだったと思います。